「ゴニンカン」 下北でも根強い人気

義勇組トランプ大会で、ゴニンカンをする新旧組頭ら=1月26日

 青森県の津軽地方で親しまれているトランプゲーム「ゴニンカン」が、下北地方でも根強い人気を見せている。毎年冬になると各地で大会が開かれ、愛好者たちが集って駆け引きを楽しむ。冬場の伝統的な娯楽として浸透してきただけでなく、世代間や地域間交流に一役買っている側面もありそうだ。

 1月、むつ市の小川町集会所。冬晴れの穏やかさとは一転し、室内は熱気に包まれていた。

 「役、スッペ」「ケンリ、ケンリ!」「あいやー、オドったか…」。あちこちでゴニンカン用語が飛び交う。

 毎年恒例の「義勇組トランプ大会」だ。義勇組は、田名部まつりを取り仕切る組の一つ。その現役幹部や組OBら35人が、一日いっぱい座布団を囲んだ。

 大会がいつから始まったかは定かでない。1974(昭和49)年の組頭、新田昭一さん(78)は「私が組に入ったのが昭和34年ぐらい。その頃にはたぶん、大会をやっていたと思う」と記憶をたどる。

 2020年の組頭、種澤博之さん(38)は、18歳で組に入ってから、ゴニンカンを覚えた。ゲームの醍醐味(だいごみ)、駆け引きも先輩譲りだ。「普段ふれ合う機会がない先輩たちと話ができ、そこからまつりのことも教えてもらえる。組の親睦を深める、新年初めの大切な行事なんです」

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 田名部まつりの五つの組は毎年1月、合同の「五町トランプ大会」でゴニンカンの腕を競っている。それぞれの町内にも、義勇組のように個別の大会がある。さらには、同市老人クラブ連合会、川内地区の愛好団体なども、独自で大会を開いている。

 ゴニンカン熱は東通村にも。2月23日は、同村蒲野沢の集会施設で「ゴニンカン世界大会・東通場所」と銘打った大会が開かれた。主催者の東通ライオンズクラブは、競技に「怒ってはいけない」という決まりを設けている。

 45人の戦いを制したのは、同村入口の川端孝悦さん(72)。幼い頃に、親戚が遊んでいたゴニンカンを見て覚えた。伝統芸能の継承団体・入口青年会のメンバーだった頃は、内習いが終わると反省会を兼ねてゴニンカンをたしなんだという。

 「大会は、みんなが集まるきっかけになっている。普段会えない人たちも集まって、近況を語り合ったり」と川端さん。一方で、「最近は家族でゴニンカンをすることが少なくなり、若い人たちは知らないと思う。若者も、大会に参加してくれるといいですね」と少し寂しそうだ。

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 下北にいつ頃、なぜゴニンカンが広がったのか。愛好者たちに尋ねても「分からない」「冬場に祖母がやっていたのは覚えているけど」と首をかしげるばかり。1981年から毎年1月、寺でゴニンカンの会を開いている東通村法林寺の住職、三國智紘さん(76)は「祖父がゴニンカンを知っていることから、少なくとも130年ほど前には下北にあっただろう」と考える。

 地元の歴史に詳しいむつ市の佐藤崇さん(69)は「藩政が終わり、1890年ぐらいから、むつ市の近川、大曲地区に津軽の人が入植してきた。その人たちが持ち込んだと考えるのがベター」との説を提唱する。ただし確証はない。むつ市史や県史を探しても、ゴニンカンに関する記述は見つからなかったという。

 経緯が不明な理由も「ごく自然に下北へ入り込み、長く続いてきたからでは」と、佐藤さんは推測する。「誰も分からないままが、一番いいかもしれないですね」

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<ゴニンカン> 「関係」組2人と「無関係」組3人に分かれたチーム戦で行われるトランプゲーム。手札を順番に出し、A(エース)からJ(ジャック)までの絵札を取り合う。絵札を多く取ったチームの勝ち。本文記事中の用語で、「スッペ」はスペード。「ケンリ」は、一番最初に手札を出す権利。「オドる」は、最強の札・ジョーカーを出すこと。

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