
太平洋戦争末期の戦地となった島国パラオ。調査などのため、過去3度にわたり現地を訪れた青森県十和田市の松橋修三さん(52)は15~17日、特別企画写真展を、同市の「写真のオクヤマ十和田店」で開く。戦後80年を迎え、松橋さんは「風化させないよう、多くの人に関心を持ってほしい」と思いを語る。
パラオで激戦地となったペリリュー島では1944年秋、米軍との交戦により旧日本軍の兵士約1万人がほぼ全滅。生き残った34人はその後も約2年半にわたり密林や洞窟に潜伏した。パラオ全体での旧日本軍の戦死者は約1万6千人。現在は日本戦没者遺骨収集推進協会(東京)が中心となり、現地で遺骨の収集などが行われている。
米軍三沢基地で通訳をしている松橋さんは、ペリリュー島での遺骨収集調査を報じた2023年1月の東奥日報の記事をきっかけにパラオに興味を持ち、「パラオ諸島戦史研究会」の一員として同年9月、24年10、12月の計3度、現地を訪れた。
今回の企画展では、現地で撮影した、旧日本軍の司令部跡地や日本兵が潜んだ地下弾薬庫などのほか、24年12月の青森県慰霊団の様子を収めた写真約70枚を中心に、東奥日報の記事なども展示している。
企画展のタイトルは「楽園と地獄」。惨禍を想起させる写真だけでなく、現在は観光地として知られるパラオの風景も紹介しており、松橋さんは「戦争を知らない世代にしっかりと記録として残すとともに、未来があることも伝えたかった」と意図を語った。
開催時間は午前10時~午後6時。問い合わせは同店(電話0176-21-1515)へ。
パラオで激戦地となったペリリュー島では1944年秋、米軍との交戦により旧日本軍の兵士約1万人がほぼ全滅。生き残った34人はその後も約2年半にわたり密林や洞窟に潜伏した。パラオ全体での旧日本軍の戦死者は約1万6千人。現在は日本戦没者遺骨収集推進協会(東京)が中心となり、現地で遺骨の収集などが行われている。
米軍三沢基地で通訳をしている松橋さんは、ペリリュー島での遺骨収集調査を報じた2023年1月の東奥日報の記事をきっかけにパラオに興味を持ち、「パラオ諸島戦史研究会」の一員として同年9月、24年10、12月の計3度、現地を訪れた。
今回の企画展では、現地で撮影した、旧日本軍の司令部跡地や日本兵が潜んだ地下弾薬庫などのほか、24年12月の青森県慰霊団の様子を収めた写真約70枚を中心に、東奥日報の記事なども展示している。
企画展のタイトルは「楽園と地獄」。惨禍を想起させる写真だけでなく、現在は観光地として知られるパラオの風景も紹介しており、松橋さんは「戦争を知らない世代にしっかりと記録として残すとともに、未来があることも伝えたかった」と意図を語った。
開催時間は午前10時~午後6時。問い合わせは同店(電話0176-21-1515)へ。