
今年は十和田湖や奥入瀬渓流の自然を広く発信した高知県出身の文人・大町桂月(1869~1925年)の没後100年。青森県十和田市の市民グループ「大町桂月を語る会」(生出隆雄会長)は命日の10日、同市の蔦温泉旅館などで「大町桂月没後100年祭」を開いた。出席した桂月の子孫や同会会員ら関係者約70人が、遺徳をしのんだ。
桂月は1908年、39歳の時に初めて訪れた十和田湖や奥入瀬渓流に魅了され、紀行文「奥羽一周記」を発表。21年に再び来訪すると、その後はたびたび十和田市を訪れるようになり、多くの紀行文や和歌を残した。
十和田湖の国立公園指定にも尽力し、晩年には同市に本籍地を移した。25年に56歳で死去した。
この日は、同旅館近くにある桂月の墓前で、桂月のひ孫大町芳通(よしみち)さん(69)=東京都=ら参列者が手を合わせたほか、墓に酒を注ぐ恒例の酒供養を実施。同旅館で開かれた式典では、生出会長が「桂月が縁で姉妹都市となった高知県土佐町との交流を深めるため、行政と連携する。桂月の多大な功績に感謝しながら次の世代に語り継いでいく」と誓った。
桂月のやしゃご大町彩花さん(35)=同=が「奥羽一周記」の一部を朗読したほか、出席者全員で桂月の辞世の歌「極楽へこゆる峠のひと休み蔦のいで湯に身をば清めて」を合唱した。芳通さんは、自身の本籍地が現在も十和田市であることや、青森県内の42カ所に桂月の碑が残っていることなどを紹介した。
芳通さんは取材に「桂月は日本や家族を愛し、各地の自然を言葉にして自由気ままに生きた人。皆さんで協力し十和田の素晴らしい自然を未来に残してほしい」と話した。
桂月は1908年、39歳の時に初めて訪れた十和田湖や奥入瀬渓流に魅了され、紀行文「奥羽一周記」を発表。21年に再び来訪すると、その後はたびたび十和田市を訪れるようになり、多くの紀行文や和歌を残した。
十和田湖の国立公園指定にも尽力し、晩年には同市に本籍地を移した。25年に56歳で死去した。
この日は、同旅館近くにある桂月の墓前で、桂月のひ孫大町芳通(よしみち)さん(69)=東京都=ら参列者が手を合わせたほか、墓に酒を注ぐ恒例の酒供養を実施。同旅館で開かれた式典では、生出会長が「桂月が縁で姉妹都市となった高知県土佐町との交流を深めるため、行政と連携する。桂月の多大な功績に感謝しながら次の世代に語り継いでいく」と誓った。
桂月のやしゃご大町彩花さん(35)=同=が「奥羽一周記」の一部を朗読したほか、出席者全員で桂月の辞世の歌「極楽へこゆる峠のひと休み蔦のいで湯に身をば清めて」を合唱した。芳通さんは、自身の本籍地が現在も十和田市であることや、青森県内の42カ所に桂月の碑が残っていることなどを紹介した。
芳通さんは取材に「桂月は日本や家族を愛し、各地の自然を言葉にして自由気ままに生きた人。皆さんで協力し十和田の素晴らしい自然を未来に残してほしい」と話した。