
「いざ出陣!」。戦国時代、大浦為信による津軽統一戦の口火を切った石川城(青森県弘前市)攻略から454年目の5日、大浦方が拠点とした堀越城跡(同市)から石川城跡まで4.7キロの攻城ルートをたどるウオークイベントが行われた。市民ら28人が残雪の岩木山やリンゴの花など沿道の風景を眺めながら約1時間半“進軍”し、最後は石川城跡(大仏公園)頂上からの絶景を楽しんだ。
ウオークイベントは、歴史の重要な舞台となった堀越城跡と石川城跡の関係性を知ってもらおうと同市教育委員会が企画した。
為信は1571(元亀2)年5月5日の端午の節句の未明、南部氏が津軽支配の拠点とした石川城を急襲。城主の南部高信を自害に追い込んだ後、返す刀で北西約10キロの位置にあった和徳城(同市)も攻め落とし、津軽統一ののろしを上げたと伝えられている。
市教委文化財課の石岡博之課長が甲冑(かっちゅう)姿の為信に扮(ふん)して先導。参加者は1時間半ほど歩き、標高50~100メートルの断崖にある石川城跡に到達した。
海外暮らしが長く、最近同市に住み始めたという笹森栄さん(67)は「最高の気分。歴史には詳しくないが、丁寧に案内してもらったので楽しめた。海外にも弘前の良さを発信したい」と笑顔を見せた。
市教委は来年以降もイベントを続け、和徳城や、為信が本拠とした大浦城跡をコースに加える可能性があるという。
ウオークイベントは、歴史の重要な舞台となった堀越城跡と石川城跡の関係性を知ってもらおうと同市教育委員会が企画した。
為信は1571(元亀2)年5月5日の端午の節句の未明、南部氏が津軽支配の拠点とした石川城を急襲。城主の南部高信を自害に追い込んだ後、返す刀で北西約10キロの位置にあった和徳城(同市)も攻め落とし、津軽統一ののろしを上げたと伝えられている。
市教委文化財課の石岡博之課長が甲冑(かっちゅう)姿の為信に扮(ふん)して先導。参加者は1時間半ほど歩き、標高50~100メートルの断崖にある石川城跡に到達した。
海外暮らしが長く、最近同市に住み始めたという笹森栄さん(67)は「最高の気分。歴史には詳しくないが、丁寧に案内してもらったので楽しめた。海外にも弘前の良さを発信したい」と笑顔を見せた。
市教委は来年以降もイベントを続け、和徳城や、為信が本拠とした大浦城跡をコースに加える可能性があるという。


