
青森県弘前市の弘前公園は20日、1895(明治28)年の開園から130年を迎えた。天守閣が関東以北で唯一現存する弘前城に加え、国内有数の桜の名所としても国内外に知られる国史跡の同公園。観光名所であるとともに、市民にとっては、リラックスしたり、趣味を楽しんだりする身近な存在として親しまれている。
弘前城は弘前藩祖・津軽為信が築城を計画し、2代信枚(のぶひら)が1611(慶長16)年に完成させた。1882(明治15)年、旧藩士・菊池楯衛が廃藩置県後の荒れた城内を見かね、ソメイヨシノ約千本を植えた。現在は桜以外にもマツやカエデ、シャクナゲなどが植えられており、自然豊かな場所となっている。
毎日午前6時半から本丸などで体操を楽しんでいる団体「弘前城本丸ラジオ体操」の菊池理井子副代表(75)=同市=は「弘前公園は心を解放したり、仲間と交流したりする場。体操への行き帰りも植物や鳥を見て楽しんでいる」と笑顔を見せた。メンバーの中には、同公園への愛着から、行き帰りで園内のごみ拾いをしている人もいる。
毎週のように父親と同公園を訪れ、サイクリングを楽しんでいる弘前大学付属中1年の細田正志郎さんは「弘前公園で初めて自転車に乗れるようになった。小さいころからの思い出がたくさんある」と話した。
園内の樹木管理や園路整備を行っている市はリンゴの栽培方法を桜の管理に生かしている。市公園緑地課の桜守・橋場真紀子さん(53)は「今まで引き継いできた弘前方式の管理方法を確実に次の世代につないでいく」と力強く語り、今冬の雪害を受け、災害に強い公園造りを心がける決意も示した。
同公園について、桜田宏市長はインバウンド(訪日客)の増加を受け、「弘前公園」をより分かりやすい名称として「弘前城公園」に改称する考えを示している。名称変更の時期は天守を引き戻す2026年秋を見込む。
◇
弘前公園 1895(明治28)年5月20日開園。正式名称は「鷹揚(おうよう)園」。大正天皇が皇太子時代に訪れたタイミングで命名されたという。明治、大正期の市民は親近感を持って「お城」と呼んでいたとも。同公園の桜は、1715(正徳5)年、弘前藩士が京都からカスミザクラなどを持ち帰ったのが始まりで、1918(大正7)年には第1回の観桜会が催された。現在はソメイヨシノをはじめ52種類約2600本の桜が植えられている。
弘前城は弘前藩祖・津軽為信が築城を計画し、2代信枚(のぶひら)が1611(慶長16)年に完成させた。1882(明治15)年、旧藩士・菊池楯衛が廃藩置県後の荒れた城内を見かね、ソメイヨシノ約千本を植えた。現在は桜以外にもマツやカエデ、シャクナゲなどが植えられており、自然豊かな場所となっている。
毎日午前6時半から本丸などで体操を楽しんでいる団体「弘前城本丸ラジオ体操」の菊池理井子副代表(75)=同市=は「弘前公園は心を解放したり、仲間と交流したりする場。体操への行き帰りも植物や鳥を見て楽しんでいる」と笑顔を見せた。メンバーの中には、同公園への愛着から、行き帰りで園内のごみ拾いをしている人もいる。
毎週のように父親と同公園を訪れ、サイクリングを楽しんでいる弘前大学付属中1年の細田正志郎さんは「弘前公園で初めて自転車に乗れるようになった。小さいころからの思い出がたくさんある」と話した。
園内の樹木管理や園路整備を行っている市はリンゴの栽培方法を桜の管理に生かしている。市公園緑地課の桜守・橋場真紀子さん(53)は「今まで引き継いできた弘前方式の管理方法を確実に次の世代につないでいく」と力強く語り、今冬の雪害を受け、災害に強い公園造りを心がける決意も示した。
同公園について、桜田宏市長はインバウンド(訪日客)の増加を受け、「弘前公園」をより分かりやすい名称として「弘前城公園」に改称する考えを示している。名称変更の時期は天守を引き戻す2026年秋を見込む。
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弘前公園 1895(明治28)年5月20日開園。正式名称は「鷹揚(おうよう)園」。大正天皇が皇太子時代に訪れたタイミングで命名されたという。明治、大正期の市民は親近感を持って「お城」と呼んでいたとも。同公園の桜は、1715(正徳5)年、弘前藩士が京都からカスミザクラなどを持ち帰ったのが始まりで、1918(大正7)年には第1回の観桜会が催された。現在はソメイヨシノをはじめ52種類約2600本の桜が植えられている。
