言論人・陸羯南の書簡発見/弘前、31日から展示

陸羯南から親友の伊東重に送られた書簡

 青森県弘前市出身で明治期を代表する言論人・陸羯南(くがかつなん)が、弘前市の医師で「養生哲学」の提唱者である伊東重に宛てた書簡が見つかった。日清戦争終結の翌年である1896(明治29)年、日本の植民地となった台湾の総督府衛生部衛生顧問への就任を、羯南が伊東に勧める内容。専門家は「羯南の伊東に対する信頼や、2人の深い友情を示す貴重な資料」と話している。

 弘前市の歯科医で歴史愛好家の広瀬寿秀さんが4月、市内の古書店で書簡を見つけ、5月、弘前市立郷土文学館へ提供した。

 書簡は、和紙の巻紙(縦18.5センチ×横120センチ)に、筆で書かれており、羯南が新聞「日本」で社長兼主筆を務めていた96年4月7日、「東京下谷區上根岸町」の住所から、弘前市元大工町の伊東宅へ送ったもの。

 内容は、内務省衛生局長の後藤新平が、台湾総督府民生局に新設される衛生部衛生顧問の適任者を探していることを踏まえ、羯南が伊東に「衛生顧問に推挙したい」と上京を促すもの。「(細菌学者の)北里柴三郎からも(就任依頼の)連絡があるだろうが、その前に、手紙を送れとの依頼があった」とも記されている。

 同館によると、書簡は「陸羯南全集」(全10巻)には掲載されていない新しい資料という。

 結果的に、伊東は衛生顧問に就任せず、地元弘前で医学・学問に専念し、地域発展に尽くした。97年に心身の錬磨を目指す東門会(幼年養生会)を創設。心身の健康維持と社会の安定の必要性を説く「養生哲学」を刊行するなどの活動を行った。

 同館企画研究専門員の櫛引洋一さんは「『竹馬の友』である伊東を、羯南がいかに信用していたかを物語る資料。医療分野で活躍していた伊東の存在の大きさがあらためて浮き彫りになった」と語る。

 書簡は31日から9月6日まで、同館ロビーで展示する。9月2日の羯南の命日には、講話と朗読会が予定されている。

弘前市内で見つかった陸羯南の書簡。弘前市立郷土文学館企画研究専門員の櫛引さんは「羯南と伊東の結びつきを示す貴重な資料」と話す


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