俳人・正岡子規が青森県弘前市出身の作家・佐藤紅緑に宛てた直筆の手紙を、弘前市立郷土文学館が昨年秋、市内に住む関係者から譲り受けた。手紙は、紅緑が弘前で起こした新聞「陸羽(りくう)新報」の創刊を祝い、寄稿できないことをわびる内容で、最後には「雑煮くふて第一号をいはひけり」の一句が添えられている。4月1日から始まる企画展「小説『花はくれない』-佐藤愛子が描いた父・紅緑-」でお披露目する。
寄贈したのは、明治から昭和にかけて活躍した弘前市の俳人・竹内抱甕子(ほうようし)の孫で市内に住む竹内規夫さん。紅緑の生涯をたどる今回の企画展を計画していた同館が、代々この手紙を引き継いでいた竹内さんに借り受けの相談にいったところ、「末永く活用してほしい」と託された。
紅緑は1893(明治26)年に上京し、翌年、日本新聞社に入社。そこで同僚となった子規から俳句を教わり「紅緑」の号をもらう。手紙は、子規が32歳、紅緑が25歳の99(明治32)年12月25日付。政治家を志して各地の新聞社を渡り歩いていた紅緑は、この年の春に病気のため帰郷した。創刊間近だった陸羽新報への寄稿を依頼したが、子規は手紙で「節季年頭何分多忙」と、忙しさを理由に断った。陸羽新報は創刊後まもなく廃刊になった。
同館の櫛引洋一企画研究専門員は「句が添えられた俳句の師匠の子規らしい手紙。これが、どこかに眠っているかもしれない陸羽新報などほかの資料が出てくるきっかけにもなれば」と話した。
2023年は、紅緑の娘で作家の佐藤愛子さんが100歳を迎える年で、紅緑の生誕150周年にも当たる。企画展では、愛子さんの小説「花はくれない」の文章を通して、紅緑の生涯をたどる。24年3月まで、展示替えを行いながら写真や資料計約200点を紹介する。
寄贈したのは、明治から昭和にかけて活躍した弘前市の俳人・竹内抱甕子(ほうようし)の孫で市内に住む竹内規夫さん。紅緑の生涯をたどる今回の企画展を計画していた同館が、代々この手紙を引き継いでいた竹内さんに借り受けの相談にいったところ、「末永く活用してほしい」と託された。
紅緑は1893(明治26)年に上京し、翌年、日本新聞社に入社。そこで同僚となった子規から俳句を教わり「紅緑」の号をもらう。手紙は、子規が32歳、紅緑が25歳の99(明治32)年12月25日付。政治家を志して各地の新聞社を渡り歩いていた紅緑は、この年の春に病気のため帰郷した。創刊間近だった陸羽新報への寄稿を依頼したが、子規は手紙で「節季年頭何分多忙」と、忙しさを理由に断った。陸羽新報は創刊後まもなく廃刊になった。
同館の櫛引洋一企画研究専門員は「句が添えられた俳句の師匠の子規らしい手紙。これが、どこかに眠っているかもしれない陸羽新報などほかの資料が出てくるきっかけにもなれば」と話した。
2023年は、紅緑の娘で作家の佐藤愛子さんが100歳を迎える年で、紅緑の生誕150周年にも当たる。企画展では、愛子さんの小説「花はくれない」の文章を通して、紅緑の生涯をたどる。24年3月まで、展示替えを行いながら写真や資料計約200点を紹介する。