斗南藩士 れんが製造/東通の尻屋埼灯台

国の重要文化財への指定が決まった尻屋埼灯台

 れんが造りでは高さ日本一の現役灯台として国の重要文化財(建造物)への指定が決まった青森県東通村の尻屋埼灯台には、旧斗南藩士がれんが製造や建築に関わったという言い伝えがある。作業に関する詳しい資料は残っていないが、子孫らでつくる「斗南會津会」(山本源八会長)が数年にわたって調査したところ、れんがの成分や証言などから、旧藩士が大きな役割を果たしていたことは「事実である」との結論にたどり着いた。同会は、先祖たちの功績を記録として残し、次世代に伝えようとしている。

 戊辰戦争に敗れ領地を没収された会津藩は斗南藩として再興を許され、1871(明治4)年、田名部(現むつ市)に移住した。

 灯台は73年6月に着工し、76年10月に点灯を開始した。東北地方初の洋式灯台で、壁を内外で二重にした「二重円筒形式」など、優れた建築技術において歴史的価値が高いとされる。

 「『イギリス人技師・ブラントンが設計指導した』という記録は残っている。しかし、誰が建てたのか書いてある資料はない。藩士が関わったという言い伝えだけがあった」。同会の尻屋埼灯台建設検証委員会の委員長を務めた目時紀朗さん(82)=むつ市=は説明する。

 同会の理事・松本友則さん(46)は旧会津藩筆頭家老・北原家の家系で、祖先は明治初頭からむつ市大畑町の正津川地区に居を構えていた。松本さんは幼い頃から、祖父・松本光義さん(故人)に「先祖が尻屋埼灯台を建てた」と聞いており、灯台を身近な存在に感じていたという。

 灯台建築時に培ったれんが製造の技術を生かし、灯台完成後はかまど造りを副業にしていた-という言い伝えもあり、近所の住民からは名前ではなく「れんがさん」と呼ばれてきた。友則さんによると、今でも自宅周辺を掘り起こすと古いれんがが多数埋まっている。

 史実として記録に残そうと、同会は2018年から20年にかけて、友則さんを含め複数の関係者に対する聞き取り調査を実施。松本家から出土したものなど正津川地区に残るれんがと尻屋埼灯台のれんがの分析、比較も専門機関に依頼して行った。その結果、主成分である二酸化ケイ素など三つの化学成分の値が同じ、または非常に近いことが分かった。目時さんは「正津川で作ったれんがを船や陸路で尻屋に運んで使ったという99%の証拠を示せた」と力を込める。

 同会は、北原家9代目の北原(きたはら)采女(うねめ)光美(てるよし)が正津川地区で建築作業全体を采配し、旧藩士や地域住民が従事したと見立てる。目時さんは「調査を重ねて歴史をひもとくことで、灯台の価値をより伝えることができる。灯台のロマンを追い続けたい」と熱く語る。

 友則さんは「重文に指定されることで、先人や先祖の苦労と功績が報われる。灯台や斗南藩の歴史を若い世代に伝えていくため、地元の学生などを巻き込んだ活動を考えていきたい」と話した。

 尻屋埼灯台の今季の一般公開は6日まで。

灯台内部のれんが造りを眺める松本友則さん

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