
青森市のライブハウス「青森Quarter(クオーター)」が、前身の「FREE LIVE SPACE 1/3(フリーライブスペースさんぶんのいち)」オープンから7月で40年を迎える。プロアマ問わず青森のバンドシーンを長年支えてきた。コロナ禍で一時存続が危ぶまれたがファンらの協力で再生。代表の小林孝典さん(68)と妻の陽子さん(60)は支えに感謝し「日々勉強して、面白いと思って続けてきた」と顔を見合わせる。
「音楽は好きだけど自分ではやらない。ライブハウスという存在を知ってやってみようかと」。1978年から居酒屋を経営していた孝典さんは店によく集まっていた音楽関係者に背中を押され、85年に「1/3」をオープンさせた。
数年後、全国的なバンドブームが到来。こけら落としのシーナ&ザ・ロケッツから始まり、ザ・ブルーハーツ、ユニコーン、Xなど有名バンドが次々とライブを敢行。一方で照明や音響などの知識がなかった二人はライブごとに改良を重ねた。「これでいいや、ができない性格。機材や備品がどんどん増えた」と笑う。
ビルの3階にあった「1/3」だが、建物の揺れや機材の運搬に苦労して移転を決意。2000年、同市安方に「青森Quarter」を建てた。こけら落としはザ・ブルーハーツ。現在も親交が深いボーカルの甲本ヒロトさんたっての希望だった。
その後も東京スカパラダイスオーケストラやGACKTさんなど「ホールで公演するような人がたくさん来てくれた」と孝典さん。
02年にはサザンオールスターズの桑田佳祐さんがソロでライブし、登場と同時に観客が前に押し寄せて会場の後ろがガラガラになったという逸話も。スーパースターが手に届く場所にいるライブハウスならではの経験で「やってて良かったと思う瞬間」と振り返る。
「ここを守らないと(アーティストが)青森に来なくなる」と走り続けた40年間。現在も県内のアーティストやアイドル、有名バンドまで幅広くライブを行う。
「あと10年、半世紀までは頑張りたい。青森って(首都圏から)遠いから、バンドがここまできたぞって思える場所を残したい」。人々のために燃やし続ける情熱はまだまだ冷めない。
▼「ライブシーン牽引 これからも」/“常連”人間椅子 東奥日報にコメント
青森市のライブハウスの草分け的存在である「青森Quarter」。前身の店ができた当時はライブハウス自体東北に浸透していなかったという。ほぼ同時期に訪れた空前のバンドブームを、首都圏から青森まで呼び寄せる受け皿となった。
代表の小林孝典さんはこれまでの出演者数について「正確には分からない」と言うが、出演者がアルバムに残したサインは計693組。アルバムの休止期間や書き忘れも含めれば出演総数はさらに多くなる。
中でも初出演から30年以上ステージに立ち続けているのが、弘前市出身のメンバーが中心の3人組ハードロックバンド「人間椅子」。小林さんによると年に4回ライブを開いた年もあったという。
東奥日報の問いかけに対し、ギター・ボーカルの和嶋慎治さん(弘前市出身)は「青森のライブシーンの牽引役(けんいんやく)として、これからもお元気でいてください」、ベース・ボーカルの鈴木研一さん(同)は「いつも気持ち良く演奏できます。お客さんもそれを知っていて、県外からも多数訪れる人気のライブハウスです」、ドラム・ボーカルのナカジマノブさんは「大感謝です! 小林さんご夫婦、スタッフの皆さま、今後ともよろしくお願いいたします!」とのコメントを寄せた。
「音楽は好きだけど自分ではやらない。ライブハウスという存在を知ってやってみようかと」。1978年から居酒屋を経営していた孝典さんは店によく集まっていた音楽関係者に背中を押され、85年に「1/3」をオープンさせた。
数年後、全国的なバンドブームが到来。こけら落としのシーナ&ザ・ロケッツから始まり、ザ・ブルーハーツ、ユニコーン、Xなど有名バンドが次々とライブを敢行。一方で照明や音響などの知識がなかった二人はライブごとに改良を重ねた。「これでいいや、ができない性格。機材や備品がどんどん増えた」と笑う。
ビルの3階にあった「1/3」だが、建物の揺れや機材の運搬に苦労して移転を決意。2000年、同市安方に「青森Quarter」を建てた。こけら落としはザ・ブルーハーツ。現在も親交が深いボーカルの甲本ヒロトさんたっての希望だった。
その後も東京スカパラダイスオーケストラやGACKTさんなど「ホールで公演するような人がたくさん来てくれた」と孝典さん。
02年にはサザンオールスターズの桑田佳祐さんがソロでライブし、登場と同時に観客が前に押し寄せて会場の後ろがガラガラになったという逸話も。スーパースターが手に届く場所にいるライブハウスならではの経験で「やってて良かったと思う瞬間」と振り返る。
「ここを守らないと(アーティストが)青森に来なくなる」と走り続けた40年間。現在も県内のアーティストやアイドル、有名バンドまで幅広くライブを行う。
「あと10年、半世紀までは頑張りたい。青森って(首都圏から)遠いから、バンドがここまできたぞって思える場所を残したい」。人々のために燃やし続ける情熱はまだまだ冷めない。
▼「ライブシーン牽引 これからも」/“常連”人間椅子 東奥日報にコメント
青森市のライブハウスの草分け的存在である「青森Quarter」。前身の店ができた当時はライブハウス自体東北に浸透していなかったという。ほぼ同時期に訪れた空前のバンドブームを、首都圏から青森まで呼び寄せる受け皿となった。
代表の小林孝典さんはこれまでの出演者数について「正確には分からない」と言うが、出演者がアルバムに残したサインは計693組。アルバムの休止期間や書き忘れも含めれば出演総数はさらに多くなる。
中でも初出演から30年以上ステージに立ち続けているのが、弘前市出身のメンバーが中心の3人組ハードロックバンド「人間椅子」。小林さんによると年に4回ライブを開いた年もあったという。
東奥日報の問いかけに対し、ギター・ボーカルの和嶋慎治さん(弘前市出身)は「青森のライブシーンの牽引役(けんいんやく)として、これからもお元気でいてください」、ベース・ボーカルの鈴木研一さん(同)は「いつも気持ち良く演奏できます。お客さんもそれを知っていて、県外からも多数訪れる人気のライブハウスです」、ドラム・ボーカルのナカジマノブさんは「大感謝です! 小林さんご夫婦、スタッフの皆さま、今後ともよろしくお願いいたします!」とのコメントを寄せた。

