今夏の青森ねぶた祭で、史上2人目となる女性ねぶた師がデビューする。第6代ねぶた名人・北村隆さん(75)の弟子・塚本利佳さん(38)は、自宅がある中泊町から青森市に通いながら、大型ねぶた制作に取り組んできた。制作者として初めての台上げを終え、「ほっとした。このねぶたを見て一人でも多くの人に伝わるものがあればいいな」と祭り本番を待ち望んでいる。
題材に選んだのは「鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)」。源為朝は疫病退散の守り神として魔よけの絵にも描かれる人物で、現在も最前線の現場に立つ医療・介護従事者とねぶた祭を支える全ての人に敬意と感謝を込めた。
中泊町で生まれ育った塚本さんは、金木高校、弘前市内の医療系専門学校を卒業後、五所川原市金木町の介護施設に就職。そこで同僚から「ねぷたの絵を描いてみないか」と声をかけられた。自らの作品を見て喜ぶ利用者の姿を見て、ねぶたへの興味が湧いた。
それからインターネットでさまざまなねぶた作品に触れ、青森市に2011年オープンした「ねぶたの家ワ・ラッセ」にも足を運んだ。施設に展示されている数多くのねぶたの中で、最も引かれたのが北村さんの作品だった。メールで連絡を取ってみると「一度来てみるといい」。塚本さんは仕事を辞め、ねぶたの世界に飛び込んだ。
初めて北村さんの小屋に足を踏み入れたのは26歳の時。制作の邪魔にならないようにと、最初は掃除などの手伝いをした。貯金は2、3年で底を突き、以後は新聞配達などで生活費を得ながら10年以上にわたり小屋に通い、一心に技術を磨いてきた。
「(大型ねぶたを)任せる」。師から突然そう言われたのは、昨年夏のねぶた祭の終了後。うれしさと、偉大な師から制作を受け継ぐ重圧がない交ぜになったが、決意を固めた。
塚本さんが手がけたのは、北村さんが長年制作を担当してきた「青森山田学園」の大型ねぶた。後継に自分を選んでくれた学園側に「ねぶた師を代えることは勇気がいること。納得してもらえるねぶたを作りたい」と感謝は尽きない。
北村さんの次女・麻子さん(40)に次ぐ史上2人目の女性ねぶた師と周囲から言われることには「気負うものは全然ない。これから誰でも当たり前に目指せる職業になってくれたら」と穏やかに語る。
20日に台上げと神事を終えた塚本さん。北村さんからは「まだまだ勉強が必要」と言われたという。師の言葉をかみしめつつ、独り立ちして初めての祭りを前に「いろんなことを忘れて楽しみたい。今から本番が待ち遠しい」とねぶたを見上げた。
青森山田学園のねぶたの運行は8月3~7日。
題材に選んだのは「鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)」。源為朝は疫病退散の守り神として魔よけの絵にも描かれる人物で、現在も最前線の現場に立つ医療・介護従事者とねぶた祭を支える全ての人に敬意と感謝を込めた。
中泊町で生まれ育った塚本さんは、金木高校、弘前市内の医療系専門学校を卒業後、五所川原市金木町の介護施設に就職。そこで同僚から「ねぷたの絵を描いてみないか」と声をかけられた。自らの作品を見て喜ぶ利用者の姿を見て、ねぶたへの興味が湧いた。
それからインターネットでさまざまなねぶた作品に触れ、青森市に2011年オープンした「ねぶたの家ワ・ラッセ」にも足を運んだ。施設に展示されている数多くのねぶたの中で、最も引かれたのが北村さんの作品だった。メールで連絡を取ってみると「一度来てみるといい」。塚本さんは仕事を辞め、ねぶたの世界に飛び込んだ。
初めて北村さんの小屋に足を踏み入れたのは26歳の時。制作の邪魔にならないようにと、最初は掃除などの手伝いをした。貯金は2、3年で底を突き、以後は新聞配達などで生活費を得ながら10年以上にわたり小屋に通い、一心に技術を磨いてきた。
「(大型ねぶたを)任せる」。師から突然そう言われたのは、昨年夏のねぶた祭の終了後。うれしさと、偉大な師から制作を受け継ぐ重圧がない交ぜになったが、決意を固めた。
塚本さんが手がけたのは、北村さんが長年制作を担当してきた「青森山田学園」の大型ねぶた。後継に自分を選んでくれた学園側に「ねぶた師を代えることは勇気がいること。納得してもらえるねぶたを作りたい」と感謝は尽きない。
北村さんの次女・麻子さん(40)に次ぐ史上2人目の女性ねぶた師と周囲から言われることには「気負うものは全然ない。これから誰でも当たり前に目指せる職業になってくれたら」と穏やかに語る。
20日に台上げと神事を終えた塚本さん。北村さんからは「まだまだ勉強が必要」と言われたという。師の言葉をかみしめつつ、独り立ちして初めての祭りを前に「いろんなことを忘れて楽しみたい。今から本番が待ち遠しい」とねぶたを見上げた。
青森山田学園のねぶたの運行は8月3~7日。