世が世なら、尊顔を拝することもかなわない“殿様”が、直々に八戸藩の歴史について伝授します-。八戸藩南部家の16代当主南部光隆さん(49)=埼玉県在住=と市民が語り合うトークライブ「なんぶのとのと」が、八戸市内で始まった。さまざまなテーマを通して、令和時代の“八戸藩領(=八戸地域など)”の魅力やありようを考えようという企画。「八戸三社大祭」をテーマに開かれた7日の初回をのぞいてみた。
「『ケガズ(=飢饉(ききん))』が多い中、三社大祭が途絶えなかったのは藩主の心意気か、民衆の心意気か」「“殿”は、ご先祖が山車の主役になることについてどんなお気持ちか」
同市十六日町のブックバー「AND BOOKS」。Be FMスタッフの二ツ森護真(まもる)さん(36)と、はちのへ山車振興会の宮古角洋副会長(50)が無礼講とばかりに、リモート出演の“殿”こと光隆さんに質問する。
光隆さんは八戸藩の歴史や藩主らの秘話、三社大祭と藩主の関わりを分かりやすく解説。「三社大祭は神事なので飢饉の時でもやめられなかった」「先祖が山車の題材になることは光栄。もっと使ってほしい藩主は多い」などと語った。
「南部の殿様や八戸藩を題材にした山車に、“殿”から『南部大賞』や『八戸藩大賞』のような賞をいただければ励みになる」との“進言”には、光隆さんは「ぜひ喜んでお願いします」と回答。さらに「祭りを通して伝承すべきものは残し、時には時代に合わせて柔軟な考えも必要なのではとも思う」と語った。
2時間のトークを通して「三社大祭はコロナ禍や空襲も乗り越えて300年続いた。守るべきことは何かを考えて次代につないでいければ」と語る宮古さん。光隆さんも「『御国(おくに)』と呼んで大切にしていた八戸。私の役目は藩士の墓参りと八戸をPRすること。地域のためにもっと深く関わりたい」と意欲を示した。
会場でトークを聞いた八戸ポータルミュージアム「はっち」の中世古有紀さん(43)は「南部氏について初めて知ることばかりだった。もっと勉強して、はっちの企画に生かせれば」と話していた。
イベントを企画した二ツ森さんは「2年連続で規模を縮小した祭りの成り立ちについて語り合い、未来への祭りに思いをはせることで、何かが芽生えるのではないかと考えた」という。今後は江戸時代の文化財やえんぶり、南部弁などを題材に、年数回開きたいとも。「南部の歴史を市民レベルでゆるく楽しむということを主眼に置きながら、無理のない範囲で実施していきたい」
YouTube「八戸藩トークライブ【なんぶのとのと】」で公開中。
「『ケガズ(=飢饉(ききん))』が多い中、三社大祭が途絶えなかったのは藩主の心意気か、民衆の心意気か」「“殿”は、ご先祖が山車の主役になることについてどんなお気持ちか」
同市十六日町のブックバー「AND BOOKS」。Be FMスタッフの二ツ森護真(まもる)さん(36)と、はちのへ山車振興会の宮古角洋副会長(50)が無礼講とばかりに、リモート出演の“殿”こと光隆さんに質問する。
光隆さんは八戸藩の歴史や藩主らの秘話、三社大祭と藩主の関わりを分かりやすく解説。「三社大祭は神事なので飢饉の時でもやめられなかった」「先祖が山車の題材になることは光栄。もっと使ってほしい藩主は多い」などと語った。
「南部の殿様や八戸藩を題材にした山車に、“殿”から『南部大賞』や『八戸藩大賞』のような賞をいただければ励みになる」との“進言”には、光隆さんは「ぜひ喜んでお願いします」と回答。さらに「祭りを通して伝承すべきものは残し、時には時代に合わせて柔軟な考えも必要なのではとも思う」と語った。
2時間のトークを通して「三社大祭はコロナ禍や空襲も乗り越えて300年続いた。守るべきことは何かを考えて次代につないでいければ」と語る宮古さん。光隆さんも「『御国(おくに)』と呼んで大切にしていた八戸。私の役目は藩士の墓参りと八戸をPRすること。地域のためにもっと深く関わりたい」と意欲を示した。
会場でトークを聞いた八戸ポータルミュージアム「はっち」の中世古有紀さん(43)は「南部氏について初めて知ることばかりだった。もっと勉強して、はっちの企画に生かせれば」と話していた。
イベントを企画した二ツ森さんは「2年連続で規模を縮小した祭りの成り立ちについて語り合い、未来への祭りに思いをはせることで、何かが芽生えるのではないかと考えた」という。今後は江戸時代の文化財やえんぶり、南部弁などを題材に、年数回開きたいとも。「南部の歴史を市民レベルでゆるく楽しむということを主眼に置きながら、無理のない範囲で実施していきたい」
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