扇に50年の筆力 弘前ねぷた熱く

絵師活動50年を迎え、節目の年の一台となった「弘前大学ねぷた実行委員会」のねぷたの前に立つ聖龍院さん=7月22日、弘前大学

 青森県弘前市で1日に開幕する弘前ねぷたまつりへ向け、特別な思いを抱える絵師がいる。デビュー50年を迎えた同市の聖龍院(しょうりゅういん)=八嶋=龍仙さん(78)。「私の絵はずっと未完成。来年こそは納得できるものを、そう思っているうちに50年だじゃ」。7月に絵張りが行われた、節目の年の一台を感慨深げに見上げた。唯一、絵を手がけた「弘前大学ねぷた実行委員会」は同日、出陣の時を迎える。

 小学3年生の時、地元・熊嶋地域のねぷたを手がけたことが絵師への第一歩となった。中学時代の夏休みには、同級生の父親からねぷた絵の描き方を学び、上達していく。後に21歳で名絵師・石澤龍峡(1903~80年)に見いだされて弟子入りした。

 75年、一つの団体から依頼があり、絵師デビューを飾った。数年後には一夏で大小23台分のねぷた絵を任されるほどになった。当時、寝ずに60時間ぶっ通しで描き続けたことも。「5分だけ目つむるべ、と思ったら5時間寝てしまった。焦ったなあ」と振り返る。

 描くため自分の身を削り、ねぷたに情熱を注いだ。虫歯の痛みが制作に差し障り、40代で歯を全て抜いてしまった。2023年3月には心臓弁膜症が発覚。苦しさに耐えてその夏のねぷた絵を仕上げ、まつり後に手術した。

 「伝統をつないでほしい」。弘前藩お抱え絵師の流れをくむ龍峡から言われていた言葉を胸に、志ある若者を積極的に受け入れ、弟子は約20人に。後進の育成のため、担当していた団体を弟子たちに任せ、10年ほど前から弘前ねぷたまつりで絵を手がけるのは弘大だけになった。

 今年は「三国志」から、飛刀の名人とされた祝融(しゅくゆう)夫人が夫の孟獲(もうかく)と共に戦う場面を紙いっぱいに描いた。こだわりは半世紀前から下絵を作らず、修正のための二度描きはしないこと。感性の赴くまま、墨の勢いを重視して描き続けてきた。

 7月22日。弘大での絵張り作業を見守った。「『病気をしてから線が弱々しくなった』なんて言われたくなくて力強く描いたんだけども、大胆になりすぎちゃったな」と苦笑いした。

 「誰が見ても納得できる絵を-と思ってやってきたけど、これが難しい。でも満足したらそこで終わり。だからこそ50年やってくることができた。これからも気長にけっぱる(頑張る)よ」。飽くなき探究心が今もなお、原動力。出陣を、静かに待つ。

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