
青森市出身の写真家千島寛さん(68)=横浜市=が戦後、中国大陸で生き抜いた日本人女性と交流し、現地生活の様子を撮影した写真展が4日、青森市のJR青森駅東口ビル4階協同組合タッケン美術展示館で始まった。76点の展示作品からは、過酷な境遇に見舞われた女性たちの苦難の表情や、現地の家族との強い絆が見て取れる。千島さんは「戦争がいかに人々を不幸にするか、むごさを伝えたい」と話す。
千島さんは青森高校、神奈川大学卒。東京綜合写真専門学校で学び、スタジオ勤務などを経てフリー写真家となった。1995年から中国残留者を支援する活動に参加。中国を訪れ4人の残留女性と知り合い、家族らとも交流を深めた。
黒竜江省や遼寧省などで暮らしていた4人の生活は苦しくつらいもので、「『中国人と結婚しなければ生きられなかった』『身を守るには(その境遇に)落ちるしかなかった』と語った女性の言葉が忘れられない」と千島さん。2010年までに全員亡くなったが、千島さんは墓参を兼ねて19年まで計22回現地を訪れた。
その間に撮りためた写真をもとに22年、写真集を自費出版(神奈川新聞社刊)。翌23年には全国新聞社出版協議会の「ふるさと自費出版大賞」で優秀賞を受賞した。
ふるさと青森での個展は初めて。千島さんは「日本に帰りたくても中国に家族を残して帰れないと話した女性もいた。戦争になれば彼女たちのような人々を生んでしまう」と述べ、「戦争をしてはならないことを青森の人も再認識してほしい」と話している。
写真展「中国残留婦人-家族-」は7日まで。
千島さんは青森高校、神奈川大学卒。東京綜合写真専門学校で学び、スタジオ勤務などを経てフリー写真家となった。1995年から中国残留者を支援する活動に参加。中国を訪れ4人の残留女性と知り合い、家族らとも交流を深めた。
黒竜江省や遼寧省などで暮らしていた4人の生活は苦しくつらいもので、「『中国人と結婚しなければ生きられなかった』『身を守るには(その境遇に)落ちるしかなかった』と語った女性の言葉が忘れられない」と千島さん。2010年までに全員亡くなったが、千島さんは墓参を兼ねて19年まで計22回現地を訪れた。
その間に撮りためた写真をもとに22年、写真集を自費出版(神奈川新聞社刊)。翌23年には全国新聞社出版協議会の「ふるさと自費出版大賞」で優秀賞を受賞した。
ふるさと青森での個展は初めて。千島さんは「日本に帰りたくても中国に家族を残して帰れないと話した女性もいた。戦争になれば彼女たちのような人々を生んでしまう」と述べ、「戦争をしてはならないことを青森の人も再認識してほしい」と話している。
写真展「中国残留婦人-家族-」は7日まで。