青森県鯵ケ沢町長平町の故工藤平三さん=2017年死去、享年(90)=が生前撮りためた写真の中に、昭和30年代に撮影した長平地区からのお山参詣の様子が残されていることが町教委の調査で分かった。長平登山道から岩木山頂を目指すお山参詣は昭和30年代を最後に途絶えており、当時のにぎわいぶりを伝える写真の存在もこれまで知られていなかった。工藤さんは長平地区の冠婚葬祭や人々の暮らしも丹念に記録し、全て撮影年月日入りで保存しており、町教委は「歴史、民俗資料としての価値が高い」と評価している。
工藤さんの妻・和子さん(87)によると、夫婦で東京からUターンした1957(昭和32)年以降、長平地区で商店と簡易郵便局を一緒に切り盛りする傍ら、工藤さんは趣味のカメラで子どもたちの成長や地区の行事を撮影し、アルバムに大切に保管してきた。一般家庭用のカメラは当時まだ珍しく、山あいの集落で所有しているのは工藤さんだけだったという。
昭和32年撮影の写真には長平のお山参詣の様子も収められていた。地区の通りは、のぼりを掲げて練り歩く人々、笛や太鼓に合わせて歌い舞いながら下山してくる人や見物客でにぎわい、沿道には出店も立ち並んでいた。参詣の人々は地区の民家に泊まり、ご来光を拝むために長平の登山口から「サイギ、サイギ」の掛け声とともに岩木山頂を目指したという。和子さんは「にぎやかなお山参詣はこの年あたりが最後だったと思う」と振り返る。
長平地区は鯵ケ沢町側から岩木山への唯一の登山口で、昭和30年代までは、お山参詣の出発点として西北五地区一円の人々が利用。そのにぎわいは、岩木山神社(弘前市)の百沢口にもひけを取らないものだったという。しかし、近年は弘前市側から車で登る人が増えため登山者が減り、登山道は草木が生い茂る状態に。登山道の再興を目指す地元・長平町内会(工藤満徳会長)は一昨年から、草刈りや看板設置などの整備を進めている。
工藤さんが撮りためたアルバムは約50冊。写真の中には住民の花嫁姿や葬列、農作業、雪に埋もれた民家など地区の人々の暮らしを写したものも多い。2017年度から地域文化デジタル化事業に取り組む町教委は今回、昭和30~40年代撮影の11冊分、約2千点の写真を借り受けてデジタル保存を図る。
中田書矢総括学芸員は「工藤さんのアルバムは、長平のお山参詣をはじめ、地区の歩みが詰まった写真集。山村の暮らしぶりが生き生きと伝わってくる。撮影場所や年月日が全て分かる点でも資料的価値は高い」と指摘している。
工藤さんの妻・和子さん(87)によると、夫婦で東京からUターンした1957(昭和32)年以降、長平地区で商店と簡易郵便局を一緒に切り盛りする傍ら、工藤さんは趣味のカメラで子どもたちの成長や地区の行事を撮影し、アルバムに大切に保管してきた。一般家庭用のカメラは当時まだ珍しく、山あいの集落で所有しているのは工藤さんだけだったという。
昭和32年撮影の写真には長平のお山参詣の様子も収められていた。地区の通りは、のぼりを掲げて練り歩く人々、笛や太鼓に合わせて歌い舞いながら下山してくる人や見物客でにぎわい、沿道には出店も立ち並んでいた。参詣の人々は地区の民家に泊まり、ご来光を拝むために長平の登山口から「サイギ、サイギ」の掛け声とともに岩木山頂を目指したという。和子さんは「にぎやかなお山参詣はこの年あたりが最後だったと思う」と振り返る。
長平地区は鯵ケ沢町側から岩木山への唯一の登山口で、昭和30年代までは、お山参詣の出発点として西北五地区一円の人々が利用。そのにぎわいは、岩木山神社(弘前市)の百沢口にもひけを取らないものだったという。しかし、近年は弘前市側から車で登る人が増えため登山者が減り、登山道は草木が生い茂る状態に。登山道の再興を目指す地元・長平町内会(工藤満徳会長)は一昨年から、草刈りや看板設置などの整備を進めている。
工藤さんが撮りためたアルバムは約50冊。写真の中には住民の花嫁姿や葬列、農作業、雪に埋もれた民家など地区の人々の暮らしを写したものも多い。2017年度から地域文化デジタル化事業に取り組む町教委は今回、昭和30~40年代撮影の11冊分、約2千点の写真を借り受けてデジタル保存を図る。
中田書矢総括学芸員は「工藤さんのアルバムは、長平のお山参詣をはじめ、地区の歩みが詰まった写真集。山村の暮らしぶりが生き生きと伝わってくる。撮影場所や年月日が全て分かる点でも資料的価値は高い」と指摘している。