青森ねぶた祭の老舗運行団体「パナソニックねぶた会」が6日、青森市中心部で出陣50回目となる最後の夜間運行を終え、歴史に幕を下ろした。「ありがとう」「お疲れさま」。沿道からねぎらいの声が飛び交う中、元気に練り歩いた会員たち。引き揚げてきたねぶた団地・ラッセランドで他団体から感謝のはやしをささげられると、多くの人の目に涙が浮かんだ。
パナねぶた会は前身となるナショナル店会が初出陣した1961年から登場。不参加の年を挟み今年で50回目の出陣となったが、スポンサーであるパナ子会社の経費削減、運行に関わる人手不足などにより今夏で撤退する。他団体に先駆け、ねぶたの照明を裸電球から蛍光灯、そして発光ダイオード(LED)に変更したほか、複数の大太鼓を連ねる太鼓台車を導入するなど、ねぶたの発展をけん引してきた。
ねぶた師・北村蓮明さん(78)の集大成作品「三国志 鬼神『典韋(てんい)』」とともに歩いた同会の山崎孝之会長(50)は「沿道からの声援で多くの人に愛されていると実感した」と話す。前日発表された賞には残念ながら届かなかった。「最後に海上運行に乗りたかった」と名残惜しそうに語った。
同会の永井幸男前会長(70)は40年以上にわたり運行を支えてきた。最後となる今年は子どもと孫と一緒に参加。「楽しかった思い出でいっぱい。これで最後かと思うと寂しい」と話す。これまでも撤退の話はあったが、そのたびに存続へ力を尽くしてきた。「手伝ってくれるスタッフも少なくなってきた。50回という節目がちょうどいい区切りなのかもしれない」と胸の内を明かした。
引き手や扇子持ちとして約20年関わっていた笠原秀樹さん(53)は「最後なので本当に盛り上げたい」と意気込み、扇子を力強く振った。
同会のはやし方「青森わの會(かい)」の齋藤貢副会長(50)は、40年以上参加。高校生時代の海上運行が一番の思い出だ。「目の前に大勢の観客、すぐ後ろにはねぶた、そして真上には花火。高校生の多感な時期に経験したあの瞬間は絶対に忘れない」と懐かしむ。「人手不足や資金不足など厳しい現状はあるけれど、ほかの団体は負けずに伝統をつないでいってほしい」と思いを託した。
運行を終えラッセランドに戻った同会。午後10時過ぎ、大勢の関係者に見守られ、盛大に胴上げが行われた。最後をスマートフォンのカメラで収めようとする人で鈴なりとなった。山崎会長は「最初は地域の電気屋が集まってできた団体。仲間として迎え入れてくれて本当にありがたい。これからも発展していく青森ねぶた祭の、陰ながら力になりたい」と涙をこらえながら話した。
パナねぶた会は前身となるナショナル店会が初出陣した1961年から登場。不参加の年を挟み今年で50回目の出陣となったが、スポンサーであるパナ子会社の経費削減、運行に関わる人手不足などにより今夏で撤退する。他団体に先駆け、ねぶたの照明を裸電球から蛍光灯、そして発光ダイオード(LED)に変更したほか、複数の大太鼓を連ねる太鼓台車を導入するなど、ねぶたの発展をけん引してきた。
ねぶた師・北村蓮明さん(78)の集大成作品「三国志 鬼神『典韋(てんい)』」とともに歩いた同会の山崎孝之会長(50)は「沿道からの声援で多くの人に愛されていると実感した」と話す。前日発表された賞には残念ながら届かなかった。「最後に海上運行に乗りたかった」と名残惜しそうに語った。
同会の永井幸男前会長(70)は40年以上にわたり運行を支えてきた。最後となる今年は子どもと孫と一緒に参加。「楽しかった思い出でいっぱい。これで最後かと思うと寂しい」と話す。これまでも撤退の話はあったが、そのたびに存続へ力を尽くしてきた。「手伝ってくれるスタッフも少なくなってきた。50回という節目がちょうどいい区切りなのかもしれない」と胸の内を明かした。
引き手や扇子持ちとして約20年関わっていた笠原秀樹さん(53)は「最後なので本当に盛り上げたい」と意気込み、扇子を力強く振った。
同会のはやし方「青森わの會(かい)」の齋藤貢副会長(50)は、40年以上参加。高校生時代の海上運行が一番の思い出だ。「目の前に大勢の観客、すぐ後ろにはねぶた、そして真上には花火。高校生の多感な時期に経験したあの瞬間は絶対に忘れない」と懐かしむ。「人手不足や資金不足など厳しい現状はあるけれど、ほかの団体は負けずに伝統をつないでいってほしい」と思いを託した。
運行を終えラッセランドに戻った同会。午後10時過ぎ、大勢の関係者に見守られ、盛大に胴上げが行われた。最後をスマートフォンのカメラで収めようとする人で鈴なりとなった。山崎会長は「最初は地域の電気屋が集まってできた団体。仲間として迎え入れてくれて本当にありがたい。これからも発展していく青森ねぶた祭の、陰ながら力になりたい」と涙をこらえながら話した。