神武食堂 創業100年、食の楽しみ届ける/つがる

1957年ごろの神武食堂。後列左端が2代目神武男さん、中央奥が3代目武彦さん、後列右から2人目がサツヱさん

 青森県つがる市のJR木造駅前にある老舗の「神武(じんたけ)食堂」が、2024年で創業100年を迎えた。名物の担々麺など中華系メニューが人気で、同市や西北五地域の人々、県外客をとりこにしてきた。食の楽しみはもちろん、笑顔を届けることも意識している4代目の現店主・神祥仁(しょうじ)さん(56)は「いつもお客さんに支えられてきた。先代に恥ずかしくないよう、これからもっと頑張らないと」と感謝と決意を新たにする。

 「毎度どうも。忙ししてらべ(忙しそうだね)」「雪かきしちゃっきゃ転んでまったはんで、気付けねばまいねよ(雪かきしていたら転んでしまったから気を付けようね)」

 23年12月23日午後、食堂に祥仁さんの優しい津軽弁が響いた。「ごちそうさま。また来るよ」と店を出る中泊町の老夫婦を見送った祥仁さん。「調理場で鍋と向き合っているだけだとパワーがなくなるから、時間があればお客さんと接して元気をもらっている」

 食堂が誕生したのは1924(大正13)年秋。祥仁さんの曽祖父で、農業や運送業に従事していた旧木造町出身の竹次郎さん(享年不明)が創業した。当時は現店舗よりもっと駅に近い場所に店を構え、うどん、焼き魚を出して駅利用者らのおなかを満たした。

 後を継いだのは竹次郎さんの息子武男さん(1972年死去)。それまでなかったとされる店名は、武男さんの代になり、自身の名字と名前の頭文字からつけられた。中華そば、みそラーメン、焼き飯などを提供し始め、ようやく食堂らしい食堂ができた。宴会も毎日のように対応した。詳細は不明だが、50年ごろまでに火災被害を受けたことがある。店は57年ごろまでには現在地に移った。

 3代目は、武男さんの息子で祥仁さんの父武彦さん(1933年~2013年)。妻のサツヱさん(86)とともに食堂を切り盛りしていたところ、1992年、体調不良で入院することに。店にはサツヱさん一人が残されることとなった。

 そこで、木造高校を卒業後に東京の中華料理店で修業していた祥仁さんが同年6月、故郷に戻ることになった。「いつか食堂を継ぐだろうという意識は、小学生の頃からあった」という祥仁さん。のれんを守るため、調理場に立ち始めた。

 祥仁さんは店に大きな変化をもたらした。東京時代の経験を生かし、広東麺やレバニラ定食など中華系のメニューを取り入れたのだ。中でも担々麺は今や不動の人気。90年代前半の津軽地域ではなじみがなかったが、いつしか看板メニューに。ごまがたっぷり使われたしょうゆベースのスープにひき肉、ザーサイなどが塊になった肉みそと麺が絶妙に絡み合う逸品だ。地元住民はもちろん、県内外の客に愛されている。

 近年は新型コロナ感染症拡大、原材料高騰などの影響を受け、経営は決して楽ではないが、盛衰が激しい飲食業界で大きな節目を迎えた。祥仁さんは「商売をやっていればいいことばかりではないけど、ここまでやってこられたのはお客さん、両親、先祖のおかげ」と言い切る。「ずっとがむしゃらに仕事してきた。これからはお客さんとのコミュニケーションを欠かさないようにしつつ、体も大事にしながらやっていきたいですね」



神武食堂 1924(大正13)年秋、現在のつがる市のJR木造駅前で旧木造町出身の神竹次郎さんが創業した。現在のメニューは約40品で、担々麺(税込み900円)が人気。住所はつがる市木造宮崎1の10。営業時間は午前11時~午後7時(だし、スープがなくなり次第終了)。火曜定休。電話番号は0173-42-3421。

現在の神武食堂で「お客さんに笑顔で帰ってもらえるよう努力している」と話す店主の神祥仁さん(中)。周りは神さんの右隣から時計回りに長女の和花さん、母のサツヱさん、次女の葵葉さん、妻の孝子さん

看板メニューの担々麺


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