服部半蔵の子?康成の肖像画か/鯵ケ沢で展示

展示される安盛寺所蔵の肖像画3幅。左側の2幅には為信(左)、信枚の戒名や没年などが記されているが右端の肖像画は記載はなく信義と伝えられてきた

 三河国(愛知県)の服部半蔵(正成)の家系に連なる忍者で、弘前藩家老だった服部康成(生年不明~1635年)とみられる肖像画が5月1日から、青森県鯵ケ沢町の歴史資料館「光信公の館」で展示される。所蔵する服部家の菩提寺安盛(あんせい)寺(弘前市)では、この肖像画が弘前藩の3代藩主信義と伝えられてきた。昨年秋から調査が進み、康成の可能性が出てきたという。

 服部康成の家系は一時期を除き弘前藩に仕え、明治時代に旧舞戸村(鯵ケ沢町)に移住し、村長も務めた。町教育委員会は専門家の協力で、服部家の資料を調査。家系図の裏書きや由緒書に、康成が元和3(1617)年12月5日、初代藩主為信と康成自身の絵像を安盛寺に奉納した-との記載が見つかった。

 同寺には肖像画が3幅残っている。このうち2幅は、康成が仕えた為信と2代信枚で、戒名などが記されている。しかし、信義像とされる肖像画には記載がないため“康成説”が浮上。信義は37歳で没したが、肖像画は年配の顔立ちで描かれていることなどからも康成と推定されている。

 これまで康成とされる絵像は確認されていない。安盛寺の鈴木常孝(じょうこう)住職(68)は「肖像画が康成の可能性があると聞いて正直びっくり。どちらか確定しなくとも大切にしていきたい」と述べ、町教委の中田書矢総括学芸員は断定を避けつつ「弘前藩と服部家、安盛寺のゆかりを知ってもらうきっかけになれば」と話している。

 光信公の館は10月末まで、金・土・日に開館(5月1~9日は無休)。1日は入館無料で、午前10時半から解説会を行う。肖像画3幅の特別展示は6月27日まで。

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服部康成(はっとり・やすなり) 甲賀忍の達人で津軽為信に仕え、関ケ原の戦いで大垣城中(岐阜県)に潜入。数々の危機を救い、徳川家康から一字をたまわった。子孫は現在も青森県在住で、服部家の由緒書では康成を服部半蔵の嫡男としている。安盛寺は当初、深浦に創建。弘前市の堀越を経て禅林街に移った。

甲賀忍の達人で、弘前藩の家老だった服部康成とみられる肖像画の顔の部分

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