岩手史の特異性ひもとく 県立博物館、県内外の遺跡や土器紹介

長興寺Ⅰ遺跡から出土した後北式土器(手前)と赤穴式土器(奥)。同じ遺跡から見つかったが、つくりの質には大きな差がある
 県立博物館テーマ展「教科書と違う岩手の歴史 岩手の弥生~古墳時代」は、盛岡市の同館で開かれている。大陸からの稲作伝来が画期とされる時代、朝鮮半島から遠く、寒冷だった東北北部ではどのような歴史が刻まれていたのか。県内外の遺跡の出土品などからひもとく。

 テーマ展は7章構成。九戸村の長興寺Ⅰ遺跡から同時に出土した「地元産」の赤穴(あかあな)式と北海道の後北(こうほく)式土器や、稲作の導入で栄えた北九州地方の巨大な甕棺(かめかん)などを展示し、岩手の弥生~古墳時代の特異性を知ることができる。最北の前方後円墳、角塚(つのづか)古墳があり、例外的に稲作が行われていた可能性が高い奥州市胆沢の遺跡も紹介している。

 教科書では、弥生時代(約2600年前~3世紀前半)、古墳時代(3世紀後半~6世紀)は「大陸から稲作や金属器など当時最先端の技術が伝わり、国家が形成された。北海道や沖縄は別の歴史を歩んだ」と紹介されている。展示を担当した同館学芸第一課長の金子昭彦さんによると、東北北部の歴史が、教科書が教える中央の歴史と最も違う時代だという。

 弥生時代後半から古墳時代にかけて、「古墳寒冷期」と呼ばれる地球規模の寒冷化が起こった。豊かな自然の恵みを享受していた縄文時代から一変、北東北の人々は厳しい環境に置かれることになる。

 代わって栄えたのが、朝鮮半島から稲作が伝えられた九州北部の人々。稲作は対馬海流、津軽暖流にのって日本海側から伝えられ、次第に食糧の中心がコメになったことで現在の岩手は繁栄から取り残された。この時期、遺跡数や出土品が激減する。

 では人々はどうやって生き延びようとしたのか? 弥生時代末~古墳時代中期(3世紀半ば~5世紀)の出土品からそれを読み解くことができる。

 特徴的なのが、地元産の赤穴式土器と北海道の後北式土器が一緒に出土するようになること。粗雑な作りの赤穴式と対照的に後北式は丁寧に作られ、北海道で出土するものと区別がつかないほどだ。修復の跡から大事に扱われていたことが分かる。

 金子さんは「この時期、北海道から大量の移民があった。ベツ、ナイなどのアイヌ語地名の広がりと後北式土器の分布がほぼ一致するのも移住の証し」と解説。その理由として「寒冷地に適応し、狩猟や漁労で栄えた北海道の人々を『技術指導』のために招いたのではないか」と提唱する。

 その後、気候の回復とともに古墳文化に特徴的なカマドのある方形の竪穴住居が珍しくなくなり、集落も増加。岩手も「教科書の歴史」に合流していく。

 金子さんは「岩手では研究が進むほど例外が出てくる時代。教科書に載っていない歴史を実感してほしい」と呼び掛ける。

 来年2月6日まで。午前9時半~午後4時半。月曜(祝日の場合は翌日)と12月29日~1月3日休館。一般310円、学生140円、高校生以下無料。問い合わせは同館(019・661・2831)へ。

盛岡市

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