4日に開幕する五所川原立佞武多(たちねぷた)に、かつて立佞武多に並ぶ迫力で沿道の注目を集めた「忠孝(ちゅうこう)太鼓」が7年ぶりに出陣する。コロナ禍以降、引き手の減少などにより運行が取りやめになっていたが、規模をスリム化して復活。忠孝太鼓を演奏する「立佞武多囃子方礎會(はやしかたいしずえかい)」の坂本俊輔会長(41)は「立佞武多の先陣を切って引っ張っていくので、楽しんでほしい」と意気込んでいる。
忠孝太鼓は、五所川原市の会社経営者・故三上忠孝(ただたか)さんの寄付をもとに2008年に制作された。高さ約7.6メートルの台車に直径2.4メートルの大太鼓が2台積み上がり、さらにその上に立佞武多「本能寺の変」がそびえる。合わせて約17メートルの威容。もつけ(津軽弁でお調子者)を自認していた三上さんの思いを反映したような大太鼓は、当時大きな話題を呼んだ。
10年に初陣を飾ると、翌11年に専属のはやし方として「忠孝太鼓囃子方礎會」が発足。立佞武多の行列の先頭を行く名物太鼓として、市民権を得ていった。
ところが20年、突然のコロナ禍に見舞われた。立佞武多は1998年に市街地運行が復活して以降初めての中止を余儀なくされた。祭りそのものは23年に通常通りの形で再開したが、参加者は激減。忠孝太鼓は大型立佞武多同様の重さで、引き手の確保が難しくなり、出陣がかなわなかった。
礎會は23年以降、名前を「立佞武多囃子方礎會」と改め、通常のはやし方として祭りに参加。「忠孝太鼓をいつか復活させたい」。そんな思いがメンバーの心の中にくすぶっていた。
再開のネックとなっていたのは重量。総重量18トンの忠孝太鼓は、最低でも40人が息を合わせて引かなければびくともしない。復活のため、上部の立佞武多を解体し、太鼓を1台に減らした。苦渋の決断だったが、これで10人程度で引くことができるようになった。
7月21日、立佞武多の館。メンバーは汗をほとばしらせながら太鼓に向かってばちを振るっていた。8月4日の開幕から最終日の8日までの5日間、行列の先頭で出陣する予定だ。
かつてのようなフルサイズでの復活はかなわない。それでも坂本会長は「復活するなら、たたくのは(忠孝太鼓にアイデンティティーがある)自分たち。三上さんへの感謝を込めて、誠心誠意たたきたい。復活して良かったと言ってもらえるものを目指す」と決意を語った。
忠孝太鼓は、五所川原市の会社経営者・故三上忠孝(ただたか)さんの寄付をもとに2008年に制作された。高さ約7.6メートルの台車に直径2.4メートルの大太鼓が2台積み上がり、さらにその上に立佞武多「本能寺の変」がそびえる。合わせて約17メートルの威容。もつけ(津軽弁でお調子者)を自認していた三上さんの思いを反映したような大太鼓は、当時大きな話題を呼んだ。
10年に初陣を飾ると、翌11年に専属のはやし方として「忠孝太鼓囃子方礎會」が発足。立佞武多の行列の先頭を行く名物太鼓として、市民権を得ていった。
ところが20年、突然のコロナ禍に見舞われた。立佞武多は1998年に市街地運行が復活して以降初めての中止を余儀なくされた。祭りそのものは23年に通常通りの形で再開したが、参加者は激減。忠孝太鼓は大型立佞武多同様の重さで、引き手の確保が難しくなり、出陣がかなわなかった。
礎會は23年以降、名前を「立佞武多囃子方礎會」と改め、通常のはやし方として祭りに参加。「忠孝太鼓をいつか復活させたい」。そんな思いがメンバーの心の中にくすぶっていた。
再開のネックとなっていたのは重量。総重量18トンの忠孝太鼓は、最低でも40人が息を合わせて引かなければびくともしない。復活のため、上部の立佞武多を解体し、太鼓を1台に減らした。苦渋の決断だったが、これで10人程度で引くことができるようになった。
7月21日、立佞武多の館。メンバーは汗をほとばしらせながら太鼓に向かってばちを振るっていた。8月4日の開幕から最終日の8日までの5日間、行列の先頭で出陣する予定だ。
かつてのようなフルサイズでの復活はかなわない。それでも坂本会長は「復活するなら、たたくのは(忠孝太鼓にアイデンティティーがある)自分たち。三上さんへの感謝を込めて、誠心誠意たたきたい。復活して良かったと言ってもらえるものを目指す」と決意を語った。