松岡経塚遺跡の経筒、67年ぶり湯沢に里帰りへ 京博が所蔵

67年ぶりに里帰り展示される経筒(京都国立博物館蔵)
 秋田県湯沢市松岡の松岡経塚遺跡(市指定史跡)で1954年5月に出土した平安末期から鎌倉初期の銅製経筒(きょうづつ)が3月下旬、湯沢市で初公開される。国や県の文化財に指定されてはいないが、当時の文化を知る手掛かりになるとして、京都国立博物館(京博)が現在所蔵している。市が貸し出しを求め数年越しで働き掛けたところ、実に67年ぶりの里帰りが決まった。



 経筒は経典を納めるための筒型の入れ物。極楽浄土などの願意が記され、経塚に埋められる。松岡経塚遺跡からは高さ約30センチ、直径約10センチのものが五つ(一部欠損含む)出土。表面にはさまざまな模様と共に「寿永三年」(1184年)や「建 七歳」(建久七年、1196年)といった文字が刻まれ、「藤原女人(にょにん)」の銘文も確認できる。




 遺跡は、地元で「構え森」と呼ばれる標高150メートルほどの台地にある。湯沢市文化財保護室によると、地元住民が河原石で覆われた一角を発見。後の発掘調査で経筒のほか、つぼやかめ、古銭が出土した。当時は県立博物館が存在せず、適切に保存管理できる場所がなかったことなどから、いったん東京国立博物館に引き取られた後、1959年5月に京博に所蔵されたという。



 遺跡近くの白山神社には、平安時代の作とされる白山女神像(県指定有形文化財)が祭られている。女神像は、裳裾(もすそ)の部分に太い根株が使われた全国的にも珍しい立像。こうした多彩な文化財が集積する点も踏まえ、市文化財保護室は「平安末期から鎌倉初期にかけて経塚を築き、経筒を埋納できる権力層がこの地に存在した」とみている。

 経筒を巡っては、2015年に「構え森」のタイトルで映画も製作された。主にドキュメンタリー映画を手掛ける勝賀瀬重憲(しょうがせしげのり)監督(東京)が、経筒発掘の経緯や奥州藤原氏との関わりをドキュメンタリーと物語を交えて撮った。

 経筒に記された藤原女人の銘文から、藤原姓の人々の存在に着目。経筒の紀年に基づく経塚の造営時期が、奥州藤原氏の滅亡と相前後するとし、この地の開発に関与した可能性を推測する。

 勝賀瀬監督は映画化について「経筒や経塚について学術的な調査や研究はほとんどされておらず、謎めいた存在に心を動かされた」と語る。

 今回の貸与に備え、市は昨年4月に文化財保護室を新設。学芸員を配置して受け入れ準備を整えた。地域住民でつくる「松岡平安の郷(さと)史跡保存会」は、市とともに里帰り展示に向けて尽力。大沢利克副会長は「経筒について市内でも知る人は少ないが、郷土史に新たな視点が加わる可能性もある。多くの人に見てほしい」と話している。

 経筒は3月23~28日、湯沢文化会館で展示される。入場無料。

文化財には指定されていないが…京博研究員「屈指の品」

 京都国立博物館(京都市東山区)の宮川禎一特任研究員は、松岡経塚遺跡から出土した経筒について「平安末期から鎌倉初期の文化の痕跡を感じる屈指の品。約800年前の地域を想像する手掛かりを与えてくれる」と評価する。

 特に表面に施された唐草模様は「他に例がなく興味深い」とし、「あくまで私見だが、建築物の飾り金具などを転用した可能性もある」との見方を示す。

 宮川さんは2015年秋に湯沢市を訪れ、遺跡を視察。「周囲を見渡せる小高い場所にあり、京都など西日本で見られる経塚と比べても遜色なかった。経筒の埋納の在り方など、都の文化をくんだ様子がうかがえた」と語る。また「不安や混乱に覆われた時代背景の中、何年にもわたり経筒を埋納した人々の信仰心の強さも感じる」とも話した。

 里帰り展示については「地元の熱意が大きかった。若い世代を含め、郷土の歴史や文化財への関心が高まるきっかけになればいい」と期待した。

湯沢市

秋田
爛漫・秀よし・高清水が最高金賞 全国燗酒コンテスト
秋田
ドイツ人シェフの発酵食メニュー好評 湯沢・ヤマモ味噌醤油
秋田
湯沢「七夕絵どうろうまつり」中止、有志が代替イベント企画
秋田
4連休は秋田の魅力を再発見! 観光地、県民で盛況
秋田
アスパラ料理、グランプリメニュー提供 道の駅おがち